信濃追分駅で降りやや左へ、浅間山をまざして進むと国道18号線へ出る。これをよこぎると追分の部落である。追分はかつての宿場としての建築物や風情がよく残っているので、江戸の昔をしのぶ史跡が多い。
 江戸時代、中山道を碓井峠へ登りそれを下ると麓の宿が軽井沢宿である。つづいて沓掛宿をすぎて、追分宿にたどりつく。この三つがいわゆる、浅間根腰の三宿の中でも一番繁盛したのが追分宿である。
 宿の西はずれにある「分去れ」は、北国街道と、中山道の分岐点として旅人の間に知られ、右に進んで月の名所の更科から善光寺に参り越後路へ、左へ分かれて木曾路から東海道、そして花の名所吉野へも通ずる。幾多の旅人が様々の感懐を胸にここで袂を左右に分かったものである。
 今はここも観光軽井沢の一翼をになって、付近に各種学校の寮、別荘等が増加しつつある。しかし三宿中、追分はもっともよく宿場時代の風情をしのぶことができる。


追分一里塚
中軽井沢の方から追分へ向かって行くとその入口に、今は国道18号線を中にはさんで左右に、丸い塚がみられる。これが一里塚である。これは慶長9年(1604年)徳川家康の命により各街道へ一里ごとに塚を築造させた。塚の上には榎等を植え、旅人の休憩に便し、里程標の役割も、果した。これを一里塚といった。街道に在った大部分は破滅したが、この追分の一里塚はよく原形が保存され、史跡となっている。

堀辰雄文学記念館
 平成五年四月に軽井沢町が堀辰雄の家を中心に、管理棟・展示棟・書庫を整備して、堀辰雄文学記念館を開館した。
 開館にあたって、堀多恵夫人から堀が愛蔵していた書籍・遺品等を多数寄贈された。
 常備展示棟には、堀の生い立ちから死に至までを、六つのコーナーに分けて資料が展示されている。
 管理棟では、毎年堀辰雄ゆかりの特別展が開かれ、多恵夫人の講演会も行われている。

追分 油屋旅館
満ち足りたひとときを過ごしていただける思い出の宿として、皆様から親しんでいただけたら幸いと、まごころのおもてなしに心を砕いております。


油屋旅館 >>詳細


追分節 追分のお札
馬と人が伝えた唄
浅間根腰の焼野のなかで あやめの咲くとはしほらしや
追分桝形の茶屋で ほろと泣いたが忘らりょか
吹飛ばす石も浅間の野分と詠んで 芭蕉翁は江戸へさる
浅間山ではわしゃないけれど 胸に煙がたえやせぬ
追分一丁二丁三丁四丁五丁 中の三丁がまつならぬ


このサイトへのお問い合わせはinfo@yumekaido.ne.jpまでおねがいします。